久保田徹
ドキュメンタリー映像作家
1996年生まれ。慶應大政治学科在学中にミャンマー西部にあるロヒンギャ収容区の状況を記録し、『ライトアップロヒンギャ』(2016)を制作。自由を奪われた人々のために映像を作り始める。コロナ禍の辺境で生きる人々を記録し、共同監督した『東京リトルネロ』にて貧困ジャーナリズム賞、ギャラクシー賞奨励賞など受賞。2023年2月よりミャンマーの映像作家やジャーナリストを支援するプロジェクト「Docu Athan(ドキュ・アッタン)」を開始した。
2020 NHK BS1『東京リトルネロ』49分(2020) 共同監督・撮影
2024 NHK BS 『境界の抵抗者たち』59分 (2024) 監督・撮影・編集
FILM
初回放送日: 2024年7月18日 監督・撮影・編集/ 久保田徹
3年前にミャンマーで起きたクーデター。軍部による弾圧で多くの市民が犠牲になった。こうした中、国境を越えたタイの町に逃れカメラを武器に戦う人たちがいる。祖国の現状を世界に伝えたいと、戦闘の最前線を取材する義足のカメラマン。かつての仲間に向け、投降を呼びかける番組を配信する元ミャンマー軍兵士。映像発信者たちの抵抗の記録。
FILM
初回放送日: 2020年10月11日 監督・撮影・編集/ 松井至・内山直樹・久保田徹
緊急事態宣言から秋まで、コロナ禍の東京で、社会の片隅に生きる人々の小さな歌声(リトルネロ)に耳を澄ませた記録。 コロナで仕事を失いネットカフェも追い出された困窮者たち。支援団体のメンバーは言う「貧困は優しくない社会の結果だ」▽「夜の街」と名指しされた新宿歌舞伎町でラッパーは憤る「景気いい時は女買いに来てコロナになったら切り捨てか」▽コロナでも休めない風俗嬢。「母子家庭で学費を稼ぐため。色眼鏡で見るのはやめてほしい」▽自由に移動もできない「仮放免」のクルド人はつぶやく「私達は終わらないロックダウンの中にいる」
〈ミャンマーの光と影〉-Myanmar and Democracy-
2015年に初めてミャンマーを訪れたとき、人々は民主化がもたらす未来に熱狂していた。希望の光に覆われているかのように見える国の中には、影もあった。当時大学3年のときにロヒンギャの「収容区」を訪れ、内部を撮影した『ライトアップロヒンギャ』は、現在にも通じる価値ある記録になった。軍と協働でイスラム教徒への憎悪を煽る仏教集団「マバタ」の存在について。音楽を通じて少数民族との交流を図るパンクミュージシャンたちの挑戦。仏教徒ビルマ人でありながらロヒンギャの実情を知るためにバングラデシュへ渡る活動家の旅。影と光がせめぎ合っている国で生きる人々と、深く関わることになった。2021年2月のクーデターを経て、ミャンマーは再び全体が影に覆われることとなった。
〈難民と入管行政〉-Asylum Seekers-
〈森友問題と遺族の記憶〉-Government Fraud-
2018年3月に公文書改ざんを命じられた国家公務員が自殺したというニュースを聞いたときは衝撃的だった。それは近畿財務局に勤めていた赤木俊夫さんという名前の人物だった。俊夫さんの妻である赤木雅子さんと巡り会い、撮影するようになった。俊夫さんに改ざんを命じた国家権力の醜悪さとは対照的に、人としての優しさを保ち続けている彼女の魂は美しく写った。彼女の生活を丁寧に撮影すれば、ぽっかりと空いた穴のように、そこから抜け落ちた部分の俊夫さんと出会えるような気がした。映像を通じて、彼を忘却しようとする世界に抗いたいと思った。
〈東京リトルネロ〉-Tokyo Ritornello-
2020年4月、コロナ禍の真っ只中の東京の周辺を歩いて映像を作っていた。ドキュメンタリー制作者の松井至さんと内山直樹さんに声をかけられ、困窮者支援やデモの現場を映像にすることで、映像を社会運動に組み込もうとした。その活動はドキュミームと名づけられ、映像記録が遺伝子のように社会に組み込まれていくことを目指した。僕は東京を周縁から見つめるクルド人アリさんの視点を描いていった。3人でドキュミームで制作した短編の映像たちは、後に長編として再編集され、『東京リトルネロ』という名前の50分の映像となった。東京という街が、まるで一つの生き物のように見えた。それまでに見たことのない映像となった。
『東京リトルネロ』予告編 [English CC]
〈ドキュ・ミーム 社会運動としての映像〉
-Docu Meme Shorts-
コロナ禍をきっかけに始まったドキュメンタリー映像のコレクティブ「Docu Meme」として制作した短編の映像。困窮者支援や社会運動と映像を連結させようと試みた。2020-21年に撮影された映像。それらを社会にミーム化し、組み込もうとした実践の記録。
〈 職人たちの時間と空間〉
-Japan's Craftsmanship-
映像を始めてから、身体的な知性というものがあるのだと知った。職人たちの身体の動きは、壮大な時間の流れの中に〈残すべきもの〉を彫刻しているかのようだった。自分の映像制作も、そのようでありたいと思った。